kmn.7  JET 「獄門島」 (原作:横溝正史)

アスカコミックスDX 
   金田一耕助ベスト・セレクション4 全1巻
  (同時収録: 睡れる花嫁 , 黒猫亭事件)

   
 アスカコミックスでもあった気がします。  

探偵に対する憧れから、わたしはサスペンスドラマにはだいぶ幼い頃から親しんでいたのですが、大学生頃からは横溝正史や江戸川乱歩等の推理小説、

怪奇小説等も読むようになった。サスペンスドラマにはまっていながら、例えば西村京太郎や山村美紗の小説にはちっとも興味が無いのだけれど、横溝や

乱歩(偉そうでごめんなさい)は、古典の域なので、惹かれてしまう。古ければよい訳ではないが、耽美的というか。いや、耽美という言葉を使うのはとっても

危険なので使いたくないけど。文字から沸き起こイメージがわたしの好みというだけ、というのが好きな理由。単純。それから、生々しさが薄い、というか、

怖いんだけど、エンターテイメントとして楽しめる怖さなのが良い。

JETさんは、横溝金田一の大ファンということで、シリーズで幾つも漫画化しているのですが、今回は獄門島を選んでみました。

 ストーリー
 瀬戸内海に浮かぶ、人口千人余りの小さな島「獄門島」。復員船の中で死んだ戦友、鬼頭千万太の依頼を受けて、

 名探偵
金田一耕助は獄門島へ向かった。千万太は死ぬ間際、「おれが返ってやらないと・・・ 三人の妹たちが殺される・・・

 行ってくれ・・・ おれの・・・ 代わりに獄門島へ・・」と言ったのだ。

 獄門島には二つの勢力があった。本鬼頭と分鬼頭だ。島民たちは、この二つの仲の悪い鬼頭家のどちらの網元(船や魚網等

 を所有し、漁師を雇って漁業を営む者、家のこと)に付くのが得策か迷っていた。狭い島では死活問題になるからだ。


 金田一が島に来て3日後、千万太の戦死が公報で入り、通夜が行われた。その最中、千万太の3人の妹のうちの末娘、
花子

 行方不明になる。それをきっかけに、次々と姉妹が殺されていく。





 人物関係図




事件の概要

@ 花子  

    千万太の通夜の日、6時15分頃の目撃を最後に花子が行方不明になる。本鬼頭に集まっていた人々は、花子は鵜飼と会っているのでは、

     と言い出す。すると、幸庵が、鵜飼が夕方頃、寺の方へ登っていったと証言する。みんなで捜索を続けるが、花子は見つからない。しかし、

     寺へ向かった了然が、寺の脇の梅の木に逆さ吊りにされた花子の死体を見つける。寺には軍靴の跡と、与三松が吸う煙草の吸殻があった。

     花子の死因は、鈍器で殴られた跡の絞殺。死亡推定時刻は6時半〜7時半。


     花子の死体は、鵜飼が月代にあてた「7時に寺でまっています」という手紙を持っていた。鵜飼に聞くと、寺には7時に行ったが、月代はおろか

     花子も来なかったと言う。また、鵜飼と月代は、普段から手紙のやり取りをしていたが、受け渡しには寺へ向かう坂のふもとの愛染かつら

     (のうぜん葛)の記のうろを利用していた。みんなは、花子がその手紙を見つけたのだろうと推理。

   
     耕助が、死亡推定時刻等から関係者のアリバイを調べると、アリバイが無いのは耕助と鵜飼のみであった。


B 雪枝

     花子が死んだ翌日、花子の通夜が行われる中、今度は雪枝が行方不明になる。みんなで捜索すると、「天狗の鼻」と呼ばれる崖の先に、

     釣鐘が置かれており、その下から雪枝の振袖の袖がはみ出るのが発見される。重さ40貫程ある(1貫は約3・75kg。)釣鐘を上げてみると、

     その下から雪枝の死体が正座させられていた。

 
     死亡推定時刻は6時〜7時と出たが、6時半頃に雪枝は目撃されている。死因は手ぬぐいのようなものでの絞殺。また、釣鐘は、元々寺へ

     運ぶ途中に一時的に置いてあったものだ。

     雪枝を探していた清水が、8時40分頃天狗の鼻を通った時には袖は出ていなかったと証言したことから推理すると、関係者全員にアリバイ

     が成立した。


     そこへ、磯川警部がやってくる。今回の事件の捜査もあるが、それ以外にも、島の周りの海上で海賊船を捕獲したところ、一味の一人が

     逃げたので、そいつを探しに来たのだ。それを聞いた金田一は、軍靴の跡や煙草(を盗んで吸ったの)は、その海賊かもしれない、更には

     そいつは一さんではないかと推理する。島民たちは海賊を犯人と見て、山狩りを行うことにする。



C 月代

     雪枝の通夜の夜に山狩りが行われた。山狩りの間、月代は本鬼頭の脇にある祈祷所に篭って、悪者が早く捕まるように祈祷をすると言う。

     山狩りによって海賊は見つかるが、見つけたときには花子の時と同じ凶器で殴られて死んでいた。金田一はとっさに月代が危ないと思い、

     本鬼頭へ急ぐが、月代はすでに祈祷所で絞殺されていた。
     



この話の原作は、勿論横溝正史の「獄門島」だ。角川文庫などで出版されている。文庫で350ページ程のストーリーを約200ページの漫画にしているのだから

抜けているエピソードや分かりにくい箇所もたくさんある。それはしようがないこととは言え、原作を読まずにこの漫画で初めて獄門島を読む人には、良い漫画

にはなれないだろうと思う。

しかし、この話自体は「見立て殺人」の連続でわくわくする。漫画だとそのシーンを具体的に見られるから楽しい。見立て殺人は美しいものが多いのだ。獄門島は

映画・ドラマ化もされていて、そっちのほうがヴィジュアル的に美しいんだけど。でもJETさんの金田一シリーズは、他の金田一の漫画化やドラマ等の金田一役者

よりもずっと、横溝金田一からわたしが受ける「金田一耕助」のイメージに近くて好き。違和感がない分j、読んでいて楽。役者ではなかなか合う人がいないね。

中で選ぶなら、やっぱり石坂浩二が一番好きです。まだ金田一役をやってない人でも合う人がいるかもしれない。ちょっと考えてみます。芸人さんの中に合う人がいそうな

気がする。暇な時に、真剣に考えてみよう。今思いついた中では、藤井隆などよさそうだ。乱歩はやってたけどね。結婚おめでとう!あと、劇団ひとりとか。

で、この見立ては、全て俳句になぞらえてあるのですが、そこがたまらなく美しい。見立て殺人を行う時、犯人は大抵何らかのこだわりを持って死体を演出する。

見立てる理由は様々だが、死体のあるその空間を、出来るだけ美しく、理想通りに仕上げたいと思うようだ。だから、見立て殺人が起こる事件物を読む、見る

時には、その仕上がりに注意して見たいものである。いや、実際の現実の犯人のことなんてわたしは知りませんし、興味も無いし、理解も出来ないし、勿論

楽しいとか美しいとかも思わないですよ。そこはご注意!サスペンスドラマや事件物の漫画等を見る場合、わたしは娯楽として楽しめるかどうかを重視します。

完全に現実の世界とは別物と捕らえます。ディズニーリゾートみたいなもんです。みんなそうでしょうが。そこの区別をわたしが付けられなくなったら人間として

終わりです。また、作る側の人たちが、娯楽であることを忘れたり放棄したりした時も、とても危険だと思います。そこに注意する責任が、作る側にはあると思う。

でも、現実の世界で、何か凶悪な事件が起こり、その犯人の背景に映画や、漫画やドラマ等が取りざたされる、というケースはよくありますが、そういうのを見る

度に、わたしは泣きたい気持ちです。純粋に楽しんでいる人が大半以上なのに、一部の人の所為でその世界全体が迫害されてしまうのは不快だし、とても損な

ことだと思います。しかし、わたしも実際に言われたことがありますが、「娯楽としてでも、人が殺されたりするような作品を楽しむなんて!」と考える人もいるわけ

です。それは確かにご尤もな意見です。自分でも思うことはあります。それはそうなんですけどねー。でも現実ではやっちゃいけないことだからこそ、抑制になる

気がするんだけど。言い訳でしょうか?人の死というものを見つめる良い機会だと思うんだ。疑似体験にしてもね。

話が逸れてしまいましたが、見立て殺人の話に戻ります。以下、わたしが現実の犯罪等を美化して捉えてる訳では無いことを覚えておいて下さい。

「獄門島」の、犯人当ても含めた犯罪トリック的には、わたしの好みからすると余り面白くないんだけど、見立ては素晴らしい。見立てを鑑賞する時、その見立て

に使われるモチーフが自分の好みかどうかが、高ポイントを付けるか付けないかの分かれ目になる。「獄門島」の場合、@俳句をモチーフにしたこと A道成寺

(安珍清姫伝説を題材にした、大衆演劇。歌舞伎でも京鹿子娘道成寺がある)が絡んでくる Bそれぞれの俳句がわたしのツボを付いていること において

高ポイントを獲得している。以下、それぞれについてまとめてみよう。それから、これは漫画「獄門島」についてのポイントのことです。




@花子 「鶯の身をさかさまに初音かな」   其角

   
        花子を殺した了然は、句は春のものなのに、今は春ではない。梅の花の季節に吊るしたら完璧だったのに、と、こだわり心を見せている。

        鬼頭三姉妹は、いつも着物を着ているので、当然この時の花子も着物を着ていて、「着物を着た娘(髪長い)が、寺の脇の梅の木に逆さ吊り」

        という美しい絵が出来上がった。

           *原作では、「さかさまに」は「逆さまに」となっている。




A雪枝 「むざんやな冑の下のきりぎりす」   芭蕉


        冑は「かぶと」と読みます。

        鐘の中に正座する雪枝の絵が美しい。原作では特にそういうことは書かれていないのだが、JET版獄門島での雪枝は、花子と月代(特に花子)が、

        性格的にも見た目的にも、華やかというか、明るい感じに描かれているのに対し、雪枝はもうちょっと陰の雰囲気がある。気がする。みんな殺され

        ちゃうので、性格が分かる程は描かれてないんだけど、着物の柄もそんな感じに描き分けてるんではないかと思う。そんな雪枝が、鐘の下という

        暗い所にきちんと正座している、という情景が良い。

        また、雪枝の事件から三姉妹の母・小夜子が女役者で、しかも道成寺を得意としていたことが明らかになり、俳句以外にも道成寺の要素が絡んで

        来る。ここでは、道成寺には欠かせない、「鐘」をモチーフに使っている。トリックとしても、実際に道成寺を演じる時に使われる、割れる鐘(張りぼて)

        が使用された。
 



B月代 「一つ家に遊女も寝たり萩と月」  芭蕉


        小夜子が祈祷を始めた頃に建てられた祈祷所は、一つ家と呼ばれていた。そもそものいざこざの原因は小夜子にあり、小夜子が祈祷を始めた

        ことが、事を一層大きくしてしまったのだが、その祈祷所で月代は、祈祷中に殺されてしまう。その時の月代は、祈祷スタイルとして、白拍子の恰好

        をしていて、その死体の上に萩が撒かれ、鈴と吹流しで結ばれた猫が月代にじゃれつきながら鳴き、猫の動きに合わせて鈴が鳴る、という情景に

        なっている。

        また、このシーンの好きなところがもう一つあって、原作にも出てくるのだけど、「駒が勇めば花が散る 猫が踊れば鈴が鳴る」というフレーズ!

        これが大好き。「駒が勇めば花が散る」というのは、坂本竜馬の作った都々逸らしい。フルでは「咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る」

        と言うのだ。駒とは勿論馬のこと。しかし、唄の文句の中にもこのフレーズが出てきたり、日本古謡と書いてあるものもあったりして、詳しいことは

        わたしには分からないんだけど、どうなってんだろう?また、「桜の幹に繋ぐな 駒を 駒が勇めば花が散る」というのもあった。原作も含め、獄門島

        には、「駒が勇めば〜」しか出てこないので、どちらからとったのかは分からない。その後の「猫が踊れば〜」は、どうやら横溝さんが、「駒が勇めば

        〜」に合わせて作ったものらしい。違ったらごめんなさい。ともかく、このフレーズは、凄くわたしの心を惹きつける。特に、漫画では、ちょうど良い

        タイミングでこれが出てくるので、またまた高ポイント。

        道成寺との繋がりを言えば、月代の白拍子の恰好だ。白拍子が出てくる道成寺は、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」だ。娘道成寺は、安珍清姫伝説の

        その後の話で、清姫が花子と言う白拍子に化けて鐘に復讐に来るのだ。あ、今思ったんだが、花子というのもここから来ているのかな?

        白拍子→遊女と、俳句に戻ってくる。




        さて、安珍清姫伝説を知らない人の為に、簡単に説明します。

        昔、安珍という僧が、熊野権現へ向かう旅の途中で、紀伊の国のある家に一泊させてもらうことになった。その家には清姫という娘がいて、安珍と

        清姫は仲良くなった(清姫が一方的に迫ったという説もある)。安珍は帰りに再び寄って、結婚することを約束し、旅立った。しかし、途中で、僧侶の

        身でありながら結婚する恐ろしさに気付き、帰りに清姫の家に寄らずに別の道を通った。安珍の帰りを待ちわびていた清姫だったが、遅いため、

        安珍が逃げたことに気付き、安珍を追いかけ始めた。余りの執念で清姫はいつしか大蛇の姿に変化した。安珍のほうも、清姫が凄い執念で追い

        かけて来ていることに気付き、近くにあった道成寺という寺に逃げ込み、そこの僧の協力の下、鐘を下ろしてもらい、鐘の中に隠れた。道成寺まで

        やってきた清姫は、安珍が鐘の中に隠れたことを知ると、鐘に蛇の体を巻きつけ、尾で鐘を叩き割ろうとしたが、硬くて割れず、ついには諦めて

        近くの川で入水自殺した。清姫が去ったので安心した僧たちが安珍を出してやろうと鐘を上げてみると、安珍は鐘の中で、清姫の怨念の炎により

        焼き殺されていたのだった。


        と言う話。娘道成寺含め、道成寺はわたし大好きで、娘道成寺を題材にした振り付け作品も作ったくらい。

        追加で説明するが、白拍子とは、そもそもは雅楽の種類の名前。西洋で言えばワルツ、とかマズルカ、とかみたいな。で、後にはそこから発展した

        歌舞のことも指す様になる(平安から鎌倉時代)。これを舞うのは女の人なのだが、その時の衣装が「直垂(ひたたれ)、立烏帽子(たてえぼし)、

        白の水干(すいかん)、緋の袴に白鞘巻の短刀をさしたりした、男装姿で舞ったのだ。オスカルの様なものだね。男装の麗人。これは神に捧げる

        踊りなので、娘道成寺では、花子は、「鐘の上洛式のお祝いに奉納する舞を躍らせて欲しい」と言って女人禁制の寺へ入れてもらっている。

        なぜ、白拍子→遊女となるかと言うと、同じ時代、純粋に歌舞をする芸人の白拍子がいる一方、遊女の間でも、白拍子と同じ恰好をして、今様を歌う

        者が出てきて流行した。コスプレみたいなものなのか、こっちも純粋に芸なのか分からないが、このことから「白拍子」という名前自体が遊女の異称

        としても使われるようになったからだ。



        と、このようにいろんな要素が複雑に絡んでいるのだ。釣鐘のトリックや、月代の白拍子姿等、偶然のような必然のような繋がり!そう考えるとトリック

        もおもしろいか。




        原作がメジャーなものの面白さは、クラシックパレエやオペラの作品を見るようなもので、基本のストーリーが原作としてあって、それを、それぞれの

        団体がどう演出するかという違いを見るところにある。わたしはオペラよりバレエの方がよく見るので、バレエで言うが、同じ「白鳥の湖」でも、ストーリー

        の捉え方や衣装、セットの違い、所属するダンサーのタイプの違い、個人のダンサーの個性、等、見比べればかなり違うのだが、小説原作の漫画や

        他にも、実在の人物が出てくる漫画などでも、文字の中から雰囲気を漫画化が読み取る作業が必ずあるはずで、その時に文に書いていないことも

        想像していかなければならない。例えば三姉妹の着物の柄や、村の様子、人物の顔だって、幾ら細かく説明してあったとしても、最終的には想像で

        しかない。「八ッ墓村」と「悪魔が来たりて笛を吹く」のみ、JETさん以外の漫画家が書いたのを読んだことがあるが、原作は同じなのに印象が丸っきり

        違う。おもしろいから、金田一ファンの人は是非、両方読み比べると良い。




        ところで、金田一耕助の孫である、金田一一少年の事件簿の中にも、見立て殺人はいくつかでてくるが、その中でわたしが好きなのは「タロット山荘

        殺人事件」だ。なぜなら、わたしがタロットカード好きで、集めたりもしてるからだ。こうやって好きな要素がちょこちょこでてくる漫画はとっても楽しい。

        

        人が得る情報の内、8割が目から入る情報だという記事をこの間読んだ。

        自分の好みにある映像を、動画にしろ静止画にしろ、実写にしろ絵にしろ、見たいという欲求は強くて当然だということだと思った。漫画読んでも、

        好きなコマがあるだけで楽しいものなのだ。だから漫画は辞められない。わたしの好きな要素を、どう表現してくれるのか、という多大な期待を持って

        いるのだ。素敵な一コマに出会いたくて、わたしは情報集めをしている。妖怪が出る漫画はないか、バレエやクラシック音楽をテーマにした漫画は

        ないか、情報収集しているのだ。だからとっても忙しい。

        漫画や映画は具体的に絵があるけれど、小説や歌には特につけなければ絵は無い。良い作品と言うのは、映像を思い浮かべられるかどうか、という

        のが鍵になっている、というのがわたしの主張だ。自分が作品を作るにあたっても、見る人に、何か良い映像を思い浮かべてもらえるように、というのは

        心がけるようにしている。それが相手のツボにはいるか入らないか、という問題はあるが、心構えとしてはそういうことに注意する。余分なことするより

        そこに集中した方が心地よい作品になると思う。みなさん、わたしに素敵な映像の情報下さい。